「東方への衝動」(とうほうへのしょうどう、ドイツ語: Drang nach Osten ドラング・ナーハ・オステン)とは、スラヴ人たちが住む地域にドイツの勢力を拡大するという19世紀に作られた用語である。この用語は19世紀後半、ドイツ国家主義運動のモットーとなった。いくつかの歴史上の論議において、「東方への衝動」という言葉は、東ヨーロッパへのドイツ人の歴史的定住(東方植民)、中世のドイツ騎士団のような軍による遠征、ナチスの生存圏(レーベンスラウム)概念のような近代ドイツ国家による東方のドイツ化政策や戦争などの政策などと結び付けて語られた。このスローガンがドイツ側では、中世におけるドイツ人の東方移住という業績を賛美することとドイツ文化がより優勢であるという固有の考えなど、より広い国家主義的議論の一部となったが、ポーランドではこのスローガンは、ポーランドが受難(特に敵国としてのドイツによる受難)を受ける国としての役割を押しつけられることになる、という国家主義的議論に結びついた。「東方への衝動」に由来する「西方への衝動」(ドイツ語: Drang nach Westen)は、西へ進む野心を持つ嫌疑のかかったポーランドを表現するのに使用された 。