李 穆堂(り ぼくどう、1675年 - 1750年)は、中国清代中期の儒学者。諱は紱(ふつ)、字は巨来、穆堂は号。江西省撫州府臨川県栄山の出身。 当時の清朝において、心学(陽明学)が「実事求是」を旗幟に勢力を伸長させた考証学に押されて昔日の面影なしという状況下で、ひとり心学を標榜して清朝思想界の一角に波紋を投じた、稀な心学者である。