本城 問亭(ほんじょう もんてい/ぶんてい、1864年(元治元年) - 1915年(大正4年)1月31日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の漢学者。越前国(福井県)出身。名は 蕢(蕡とも)。字は実生。 24歳のときに東京に出て、大蔵省の官吏となった。のちに職を辞し、学問に専念。三島中洲、重野安繹に師事した。 著書には『碑伝彙纂』、『随筆雑記』がある。遺文集に『問亭遺文』(大正5年刊行、本城水棹子編)。 次女の千代子は、中村雨紅の妻。