木下 淑夫(きのした としお、1874年9月23日 - 1923年9月6日)は、日本の鉄道官僚。鉄道事業を旅客サービス業としてとらえ、鉄道サービスの向上を旨として尽力したが、改主建従の考えで時の政権と対立して左遷された。 日本を観光による経済振興および観光による鉄道旅客収入増加の必要性を説き、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在の日本交通公社)の生みの親となった。また東京ステーションホテル開設に尽力し、日本を欧米に紹介するために発行された旅行ガイドブックである『』(東アジア旅行案内)の発案者でもある。