最雲法親王(さいうんほっしんのう、長治元年(1104年) - 応保2年2月16日(1162年3月3日))は、平安時代中期の天台宗の僧。父は堀河天皇。 比叡山に上り、天台座主仁豪に師事して出家・受戒し、仁実僧正から顕教・密教を学んだ。1156年(保元元年)延暦寺座主に就任し、1158年(保元3年)には僧正に任じられ、親王宣下を受けて法親王となった。同じ年座主の職を辞して山房に閑居、座禅看経の生活を送った。 後白河天皇の第三皇子以仁王が幼くして最雲法親王の弟子となるが、応保2年(1162年)に最雲が亡くなると還俗した。