明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。宇喜多氏の家臣。 全登を「ぜんとう」と音読みで読むのは法号と解釈してで、霊名からの当て字で「じゅすと」と読むとする説もある。全登を諱と解釈して訓読みする場合では、『翁草』は「たけのり」と傍訓を施しており、他にも「いえのり」や「なりとよ」と訓を施す書籍もある。「てるずみ」は『日本人名大辞典』に従った。 大西泰正は「全登」について「これも同時代の史料に見出せない。掃部当人もそう名乗らぬし、秀家やイエズス会宣教師といった周囲の人々もそうは呼ばず、掃部の死後、―といってもいいであろう、大坂の陣後まとめられた編纂史料でしか確認できない。従って、諸説ある「全登」の読み方にはこれといった正解は存在しないし、掃部を「全登」と書くのは、真田信繁を「幸村」と称するような問題を孕んでいる。」と指摘をしている。 諱は、全登以外にも、景盛(かげもり)や守重(もりしげ)など複数伝わり、定かではない。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。

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  • 明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。宇喜多氏の家臣。 全登を「ぜんとう」と音読みで読むのは法号と解釈してで、霊名からの当て字で「じゅすと」と読むとする説もある。全登を諱と解釈して訓読みする場合では、『翁草』は「たけのり」と傍訓を施しており、他にも「いえのり」や「なりとよ」と訓を施す書籍もある。「てるずみ」は『日本人名大辞典』に従った。 大西泰正は「全登」について「これも同時代の史料に見出せない。掃部当人もそう名乗らぬし、秀家やイエズス会宣教師といった周囲の人々もそうは呼ばず、掃部の死後、―といってもいいであろう、大坂の陣後まとめられた編纂史料でしか確認できない。従って、諸説ある「全登」の読み方にはこれといった正解は存在しないし、掃部を「全登」と書くのは、真田信繁を「幸村」と称するような問題を孕んでいる。」と指摘をしている。 諱は、全登以外にも、景盛(かげもり)や守重(もりしげ)など複数伝わり、定かではない。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。 (ja)
  • 明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。宇喜多氏の家臣。 全登を「ぜんとう」と音読みで読むのは法号と解釈してで、霊名からの当て字で「じゅすと」と読むとする説もある。全登を諱と解釈して訓読みする場合では、『翁草』は「たけのり」と傍訓を施しており、他にも「いえのり」や「なりとよ」と訓を施す書籍もある。「てるずみ」は『日本人名大辞典』に従った。 大西泰正は「全登」について「これも同時代の史料に見出せない。掃部当人もそう名乗らぬし、秀家やイエズス会宣教師といった周囲の人々もそうは呼ばず、掃部の死後、―といってもいいであろう、大坂の陣後まとめられた編纂史料でしか確認できない。従って、諸説ある「全登」の読み方にはこれといった正解は存在しないし、掃部を「全登」と書くのは、真田信繁を「幸村」と称するような問題を孕んでいる。」と指摘をしている。 諱は、全登以外にも、景盛(かげもり)や守重(もりしげ)など複数伝わり、定かではない。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。 (ja)
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  • ジュスト、ジョパンニ、ジョアン (ja)
  • 景盛、守重、守之、全職 (ja)
  • 法号:全登、全薑、斎号:道斎 (ja)
  • 通称:掃部頭/掃部助、掃部 (ja)
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  • 応仁の乱の足跡(公家末光公墓誌より:明石狩りの記述 ) (ja)
  • 浦上一族と家臣団 (ja)
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  • 全登、女(伊賀家久室)、全延[異説あり] (ja)
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  • 岡山県瀬戸内市邑久町虫明高知県香美市香北町白石 (ja)
  • 岡山県備前市吉永町今崎 (ja)
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  • 宇喜多直家娘 (ja)
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  • カタリナ、レジイナ (ja)
  • 小三郎、景行、内記、 (ja)
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  • 従五位下左近将監 (ja)
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  • 元和4年(1618年)または不明 (ja)
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  • 備前明石氏 (ja)
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  • 父:明石行雄(景親)、母:モニカ(宇喜多直家の異母妹) (ja)
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  • 不明 (ja)
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  • あかし じゅすと (ja)
  • あかし ぜんとう (ja)
  • あかし たけのり (ja)
  • あかし てるずみ (ja)
  • 明石 全登 (ja)
  • あかし じゅすと (ja)
  • あかし ぜんとう (ja)
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  • 明石 全登 (ja)
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  • ジュスト、ジョパンニ、ジョアン (ja)
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  • 明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。宇喜多氏の家臣。 全登を「ぜんとう」と音読みで読むのは法号と解釈してで、霊名からの当て字で「じゅすと」と読むとする説もある。全登を諱と解釈して訓読みする場合では、『翁草』は「たけのり」と傍訓を施しており、他にも「いえのり」や「なりとよ」と訓を施す書籍もある。「てるずみ」は『日本人名大辞典』に従った。 大西泰正は「全登」について「これも同時代の史料に見出せない。掃部当人もそう名乗らぬし、秀家やイエズス会宣教師といった周囲の人々もそうは呼ばず、掃部の死後、―といってもいいであろう、大坂の陣後まとめられた編纂史料でしか確認できない。従って、諸説ある「全登」の読み方にはこれといった正解は存在しないし、掃部を「全登」と書くのは、真田信繁を「幸村」と称するような問題を孕んでいる。」と指摘をしている。 諱は、全登以外にも、景盛(かげもり)や守重(もりしげ)など複数伝わり、定かではない。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。 (ja)
  • 明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。宇喜多氏の家臣。 全登を「ぜんとう」と音読みで読むのは法号と解釈してで、霊名からの当て字で「じゅすと」と読むとする説もある。全登を諱と解釈して訓読みする場合では、『翁草』は「たけのり」と傍訓を施しており、他にも「いえのり」や「なりとよ」と訓を施す書籍もある。「てるずみ」は『日本人名大辞典』に従った。 大西泰正は「全登」について「これも同時代の史料に見出せない。掃部当人もそう名乗らぬし、秀家やイエズス会宣教師といった周囲の人々もそうは呼ばず、掃部の死後、―といってもいいであろう、大坂の陣後まとめられた編纂史料でしか確認できない。従って、諸説ある「全登」の読み方にはこれといった正解は存在しないし、掃部を「全登」と書くのは、真田信繁を「幸村」と称するような問題を孕んでいる。」と指摘をしている。 諱は、全登以外にも、景盛(かげもり)や守重(もりしげ)など複数伝わり、定かではない。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。 (ja)
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