早川 正紀(はやかわ まさとし、1739年(元文4年) - 1808年12月26日(文化5年11月10日))は江戸時代の旗本。通称は八郎左衛門。名前については「まさのり」「まさつな」と読む説もある。名代官と評される人物の一人であり、真庭市久世の人たちからは「早川代官」と呼ばれている。妻は、三宅源兵衛直榮の娘。