日露協会(にちろきょうかい)とは、1906年4月に日露の親善のために生まれた協会である。会頭に寺内正毅、副会頭に後藤新平、総裁に閑院宮載仁親王が就いた。1915年に日露貿易調査部を開設し、部長に男爵目賀田種太郎就任。1917年に露語講習所(夜間)を設け、60名の卒業生をもって1919年に閉鎖し、1920年9月、ハルピンに日露協会学校(後のハルピン学院)を設立した。