新群書類従(しんぐんしょるいじゅう)は、1906年から1908年にかけ、国書刊行会により編纂・刊行された、江戸時代の珍しい文献や未刊本を集め、演劇・歌曲・書目・舞曲・狂歌の5部に分類した叢書である。1976年に第一書房で再刊された。 国書刊行会・評議員だった坪内逍遥の提案により、文芸に関する比較的新しい書物を編纂・刊行した。なお塙保己一『群書類従』とは直接の関係はなく、名前を借用しただけである。 当初は全12冊構成の予定で、第1 - 6冊は水谷不倒、第7 - 12冊は幸田露伴が編纂・校訂を担当するとされていたが、実際に刊行されたのは全10冊である。

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  • 新群書類従(しんぐんしょるいじゅう)は、1906年から1908年にかけ、国書刊行会により編纂・刊行された、江戸時代の珍しい文献や未刊本を集め、演劇・歌曲・書目・舞曲・狂歌の5部に分類した叢書である。1976年に第一書房で再刊された。 国書刊行会・評議員だった坪内逍遥の提案により、文芸に関する比較的新しい書物を編纂・刊行した。なお塙保己一『群書類従』とは直接の関係はなく、名前を借用しただけである。 当初は全12冊構成の予定で、第1 - 6冊は水谷不倒、第7 - 12冊は幸田露伴が編纂・校訂を担当するとされていたが、実際に刊行されたのは全10冊である。 (ja)
  • 新群書類従(しんぐんしょるいじゅう)は、1906年から1908年にかけ、国書刊行会により編纂・刊行された、江戸時代の珍しい文献や未刊本を集め、演劇・歌曲・書目・舞曲・狂歌の5部に分類した叢書である。1976年に第一書房で再刊された。 国書刊行会・評議員だった坪内逍遥の提案により、文芸に関する比較的新しい書物を編纂・刊行した。なお塙保己一『群書類従』とは直接の関係はなく、名前を借用しただけである。 当初は全12冊構成の予定で、第1 - 6冊は水谷不倒、第7 - 12冊は幸田露伴が編纂・校訂を担当するとされていたが、実際に刊行されたのは全10冊である。 (ja)
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  • 新群書類従 (ja)
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