新潟明和騒動(にいがためいわそうどう)とは、1768年(明和5年)越後国新潟町(現新潟県新潟市)において町民が藩政に抵抗しおよそ2ヶ月にわたる町民自治を行なった事件。 新潟町が長岡藩から御用金を課した事を受けて、新潟町の商人涌井藤四郎は各町内代表で無期延期を策した事で密告され藤四郎は投獄されてしまう。その事に憤慨した町人たちが一揆を起こした。その後、藤四郎が中心となり約2ヶ月に渡り新潟町の自治を行っていたが、長岡藩は事の収縮のため、新潟町の町人達に米と引き換えに藤四郎の召集を命じた。その結果、藤四郎は出頭し、後に打ち首となった。この一蓮の騒動を明和騒動とという