新宣陽門院(しんせんようもんいん)は、南北朝時代の南朝の皇族・女院・歌人。院号宣下以前には、一品宮(いっぽんのみや)・一品内親王と称した。 その出自について、近世の南朝系図では、後村上天皇第一皇女で中宮・(北畠親房の女)所生の憲子内親王(けんしないしんのう)とされていたが、それを裏付ける史料はない。 20世紀後半以降は、後醍醐天皇と阿野廉子との間に生まれた皇女であるとする説が有力である。その中でも特に、末娘である惟子内親王(いしないしんのう)に比定する説が比較的根強い。これが正しければ、祥子内親王(日本最後の伊勢神宮斎宮)や後村上天皇の同母妹となる。 阿野廉子と関わりが深く、その崩御に際し、七七忌御願文を奉献している。また、和歌に秀で、南朝の有力歌人として、准勅撰集『新葉和歌集』に20首が入集した。

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  • 新宣陽門院(しんせんようもんいん)は、南北朝時代の南朝の皇族・女院・歌人。院号宣下以前には、一品宮(いっぽんのみや)・一品内親王と称した。 その出自について、近世の南朝系図では、後村上天皇第一皇女で中宮・(北畠親房の女)所生の憲子内親王(けんしないしんのう)とされていたが、それを裏付ける史料はない。 20世紀後半以降は、後醍醐天皇と阿野廉子との間に生まれた皇女であるとする説が有力である。その中でも特に、末娘である惟子内親王(いしないしんのう)に比定する説が比較的根強い。これが正しければ、祥子内親王(日本最後の伊勢神宮斎宮)や後村上天皇の同母妹となる。 阿野廉子と関わりが深く、その崩御に際し、七七忌御願文を奉献している。また、和歌に秀で、南朝の有力歌人として、准勅撰集『新葉和歌集』に20首が入集した。 (ja)
  • 新宣陽門院(しんせんようもんいん)は、南北朝時代の南朝の皇族・女院・歌人。院号宣下以前には、一品宮(いっぽんのみや)・一品内親王と称した。 その出自について、近世の南朝系図では、後村上天皇第一皇女で中宮・(北畠親房の女)所生の憲子内親王(けんしないしんのう)とされていたが、それを裏付ける史料はない。 20世紀後半以降は、後醍醐天皇と阿野廉子との間に生まれた皇女であるとする説が有力である。その中でも特に、末娘である惟子内親王(いしないしんのう)に比定する説が比較的根強い。これが正しければ、祥子内親王(日本最後の伊勢神宮斎宮)や後村上天皇の同母妹となる。 阿野廉子と関わりが深く、その崩御に際し、七七忌御願文を奉献している。また、和歌に秀で、南朝の有力歌人として、准勅撰集『新葉和歌集』に20首が入集した。 (ja)
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  • 不明(延元元年/建武3年(1336年)かそれよりやや後?) (ja)
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  • 元中6年/康応元年(1389年)7月以降 (ja)
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  • 新宣陽門院(しんせんようもんいん)は、南北朝時代の南朝の皇族・女院・歌人。院号宣下以前には、一品宮(いっぽんのみや)・一品内親王と称した。 その出自について、近世の南朝系図では、後村上天皇第一皇女で中宮・(北畠親房の女)所生の憲子内親王(けんしないしんのう)とされていたが、それを裏付ける史料はない。 20世紀後半以降は、後醍醐天皇と阿野廉子との間に生まれた皇女であるとする説が有力である。その中でも特に、末娘である惟子内親王(いしないしんのう)に比定する説が比較的根強い。これが正しければ、祥子内親王(日本最後の伊勢神宮斎宮)や後村上天皇の同母妹となる。 阿野廉子と関わりが深く、その崩御に際し、七七忌御願文を奉献している。また、和歌に秀で、南朝の有力歌人として、准勅撰集『新葉和歌集』に20首が入集した。 (ja)
  • 新宣陽門院(しんせんようもんいん)は、南北朝時代の南朝の皇族・女院・歌人。院号宣下以前には、一品宮(いっぽんのみや)・一品内親王と称した。 その出自について、近世の南朝系図では、後村上天皇第一皇女で中宮・(北畠親房の女)所生の憲子内親王(けんしないしんのう)とされていたが、それを裏付ける史料はない。 20世紀後半以降は、後醍醐天皇と阿野廉子との間に生まれた皇女であるとする説が有力である。その中でも特に、末娘である惟子内親王(いしないしんのう)に比定する説が比較的根強い。これが正しければ、祥子内親王(日本最後の伊勢神宮斎宮)や後村上天皇の同母妹となる。 阿野廉子と関わりが深く、その崩御に際し、七七忌御願文を奉献している。また、和歌に秀で、南朝の有力歌人として、准勅撰集『新葉和歌集』に20首が入集した。 (ja)
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