斎藤 宗次郎(さいとう そうじろう、1877年〈明治10年〉2月20日 - 1968年〈昭和43年〉1月2日)は、岩手県東和賀郡笹間村(現・花巻市)出身のキリスト教徒。 無教会主義キリスト教徒である内村鑑三の最も忠実な弟子の一人で、その死に至るまで身の回りの世話をした。また、『雨ニモマケズ』のモデルとも言われている。