慶長地震(けいちょうじしん)は、江戸時代初期の慶長9年12月16日(1605年2月3日)に起こったとされる地震・津波である。震源については諸説があり、南海沖(南海トラフ)単独地震説と南海沖と房総沖の連動地震説、ニューギニア海溝やフィリピン海溝などの遠地地震説など。津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)だが、地震による陸地の揺れの記録が殆ど確認されないのが特徴である。また震源や被害規模も不明な点が多い。 大きな短周期の地震動が発生しない津波地震、或いは遠地津波の可能性が考えられ、同様の地震が将来発生した場合に避難が遅れ大きな被害が出る可能性があり、問題となっている。