慕容 永(ぼよう えい)は、五胡十六国時代の西燕の第6代で最後の皇帝。前燕の烈祖慕容廆の弟のの孫とされるが、父は不明である。 西燕の皇帝としては部下に従い鮮卑の故地へ東進した。394年、前燕の後継としての正統性を意識した同じく前燕の皇統の後燕皇帝慕容垂に滅ぼされた。