惣持(そうじ、天福元年(1233年) - 正和元年(1312年))は真言律宗の僧侶。字は日浄房。叡尊の甥と伝えられている。 大和国の出身で、寛元2年(1244年)、西大寺にいた叡尊の弟子になる。その後、西琳寺の長老となってその再興に努める。その間にも建長3年(1251年)に『四分律注比丘尼戒本』を撰集、康元元年(1256年)には法華寺にて『』を開版するなど、女性・尼僧の教化に生涯を捧げた。また、中宮寺を尼寺として再興して、を住持に迎えた。

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  • 惣持(そうじ、天福元年(1233年) - 正和元年(1312年))は真言律宗の僧侶。字は日浄房。叡尊の甥と伝えられている。 大和国の出身で、寛元2年(1244年)、西大寺にいた叡尊の弟子になる。その後、西琳寺の長老となってその再興に努める。その間にも建長3年(1251年)に『四分律注比丘尼戒本』を撰集、康元元年(1256年)には法華寺にて『』を開版するなど、女性・尼僧の教化に生涯を捧げた。また、中宮寺を尼寺として再興して、を住持に迎えた。 (ja)
  • 惣持(そうじ、天福元年(1233年) - 正和元年(1312年))は真言律宗の僧侶。字は日浄房。叡尊の甥と伝えられている。 大和国の出身で、寛元2年(1244年)、西大寺にいた叡尊の弟子になる。その後、西琳寺の長老となってその再興に努める。その間にも建長3年(1251年)に『四分律注比丘尼戒本』を撰集、康元元年(1256年)には法華寺にて『』を開版するなど、女性・尼僧の教化に生涯を捧げた。また、中宮寺を尼寺として再興して、を住持に迎えた。 (ja)
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