恵雲(えうん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学僧。 唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する。 大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮・霊雲・旻・道登・恵至・恵妙らとともにその一員に選ばれている。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので、皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している。 以後の事績は不明である。

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  • 恵雲(えうん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学僧。 唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する。 大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮・霊雲・旻・道登・恵至・恵妙らとともにその一員に選ばれている。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので、皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している。 以後の事績は不明である。 (ja)
  • 恵雲(えうん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学僧。 唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する。 大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮・霊雲・旻・道登・恵至・恵妙らとともにその一員に選ばれている。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので、皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している。 以後の事績は不明である。 (ja)
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  • 恵雲(えうん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学僧。 唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する。 大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮・霊雲・旻・道登・恵至・恵妙らとともにその一員に選ばれている。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので、皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している。 以後の事績は不明である。 (ja)
  • 恵雲(えうん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学僧。 唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する。 大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮・霊雲・旻・道登・恵至・恵妙らとともにその一員に選ばれている。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので、皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している。 以後の事績は不明である。 (ja)
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  • 恵雲 (飛鳥時代) (ja)
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