志佐 要一郎(しさ よういちろう、天保12年(1841年) - 明治10年(1877年)7月24日)は幕末の平戸藩士、不平士族。幼名は源太郎、通称は岡右衛門。維新後中山尚之介等と政体改革を謀り、国事犯として捕らえられ、獄死した。