御楯隊(みたてたい)は、幕末期に長州藩で結成された長州藩諸隊の一つ。 元治元年(1864年)8月、禁門の変に破れた太田市之進、山田顕義、品川弥二郎らが中心となって結成。総督は太田市之進、隊士230名。三田尻を屯所とする。同年12月15日(1865年1月12日)、高杉晋作が決起(功山寺挙兵)すると、これに呼応してと戦い、呑水、赤村の戦いなどで活躍。この際に隊士玉木彦助が落命している。第二次長州征伐では、芸州口方面で遊撃隊などと共に幕府軍と戦う。慶応3年(1867年)にと合併し、となる。 御楯隊の調練場であった防府市の境内の桑山招魂場には、御楯隊戦死者の慰霊碑がある。

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  • 御楯隊(みたてたい)は、幕末期に長州藩で結成された長州藩諸隊の一つ。 元治元年(1864年)8月、禁門の変に破れた太田市之進、山田顕義、品川弥二郎らが中心となって結成。総督は太田市之進、隊士230名。三田尻を屯所とする。同年12月15日(1865年1月12日)、高杉晋作が決起(功山寺挙兵)すると、これに呼応してと戦い、呑水、赤村の戦いなどで活躍。この際に隊士玉木彦助が落命している。第二次長州征伐では、芸州口方面で遊撃隊などと共に幕府軍と戦う。慶応3年(1867年)にと合併し、となる。 御楯隊の調練場であった防府市の境内の桑山招魂場には、御楯隊戦死者の慰霊碑がある。 (ja)
  • 御楯隊(みたてたい)は、幕末期に長州藩で結成された長州藩諸隊の一つ。 元治元年(1864年)8月、禁門の変に破れた太田市之進、山田顕義、品川弥二郎らが中心となって結成。総督は太田市之進、隊士230名。三田尻を屯所とする。同年12月15日(1865年1月12日)、高杉晋作が決起(功山寺挙兵)すると、これに呼応してと戦い、呑水、赤村の戦いなどで活躍。この際に隊士玉木彦助が落命している。第二次長州征伐では、芸州口方面で遊撃隊などと共に幕府軍と戦う。慶応3年(1867年)にと合併し、となる。 御楯隊の調練場であった防府市の境内の桑山招魂場には、御楯隊戦死者の慰霊碑がある。 (ja)
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  • 御楯隊(みたてたい)は、幕末期に長州藩で結成された長州藩諸隊の一つ。 元治元年(1864年)8月、禁門の変に破れた太田市之進、山田顕義、品川弥二郎らが中心となって結成。総督は太田市之進、隊士230名。三田尻を屯所とする。同年12月15日(1865年1月12日)、高杉晋作が決起(功山寺挙兵)すると、これに呼応してと戦い、呑水、赤村の戦いなどで活躍。この際に隊士玉木彦助が落命している。第二次長州征伐では、芸州口方面で遊撃隊などと共に幕府軍と戦う。慶応3年(1867年)にと合併し、となる。 御楯隊の調練場であった防府市の境内の桑山招魂場には、御楯隊戦死者の慰霊碑がある。 (ja)
  • 御楯隊(みたてたい)は、幕末期に長州藩で結成された長州藩諸隊の一つ。 元治元年(1864年)8月、禁門の変に破れた太田市之進、山田顕義、品川弥二郎らが中心となって結成。総督は太田市之進、隊士230名。三田尻を屯所とする。同年12月15日(1865年1月12日)、高杉晋作が決起(功山寺挙兵)すると、これに呼応してと戦い、呑水、赤村の戦いなどで活躍。この際に隊士玉木彦助が落命している。第二次長州征伐では、芸州口方面で遊撃隊などと共に幕府軍と戦う。慶応3年(1867年)にと合併し、となる。 御楯隊の調練場であった防府市の境内の桑山招魂場には、御楯隊戦死者の慰霊碑がある。 (ja)
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  • 御楯隊 (ja)
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