御斎峠(おとぎとうげ)は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と三重県伊賀市西山町を結ぶ峠。於土岐、於登岐、御伽とも表記する。昔から近江では伊賀・伊勢道、伊賀では京道(京街道)と呼ばれていた。標高は570m。 峠の名前の由来は、「三国地志」によると、鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによるという。 1582年、本能寺の変の後、摂津国にいた徳川家康が三河国岡崎城へ帰還するため、宇治田原から滋賀へ抜ける経路としてこの峠を使ったといわれる。案内した多羅尾光俊は、この功によって明治まで長い間、多羅尾領を押えていた。 峠に妖怪が出るという昔話がある。早朝に腹の膨らんだ餓鬼が現れ、旅人に「茶漬けを食べたか」と尋ねる。「食べなかった」と答えると通してくれるが、「食べた」と答えると襲いかかり、腹を裂いて茶漬けを取り出し、貪り食ったという。

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  • 御斎峠(おとぎとうげ)は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と三重県伊賀市西山町を結ぶ峠。於土岐、於登岐、御伽とも表記する。昔から近江では伊賀・伊勢道、伊賀では京道(京街道)と呼ばれていた。標高は570m。 峠の名前の由来は、「三国地志」によると、鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによるという。 1582年、本能寺の変の後、摂津国にいた徳川家康が三河国岡崎城へ帰還するため、宇治田原から滋賀へ抜ける経路としてこの峠を使ったといわれる。案内した多羅尾光俊は、この功によって明治まで長い間、多羅尾領を押えていた。 峠に妖怪が出るという昔話がある。早朝に腹の膨らんだ餓鬼が現れ、旅人に「茶漬けを食べたか」と尋ねる。「食べなかった」と答えると通してくれるが、「食べた」と答えると襲いかかり、腹を裂いて茶漬けを取り出し、貪り食ったという。 (ja)
  • 御斎峠(おとぎとうげ)は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と三重県伊賀市西山町を結ぶ峠。於土岐、於登岐、御伽とも表記する。昔から近江では伊賀・伊勢道、伊賀では京道(京街道)と呼ばれていた。標高は570m。 峠の名前の由来は、「三国地志」によると、鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによるという。 1582年、本能寺の変の後、摂津国にいた徳川家康が三河国岡崎城へ帰還するため、宇治田原から滋賀へ抜ける経路としてこの峠を使ったといわれる。案内した多羅尾光俊は、この功によって明治まで長い間、多羅尾領を押えていた。 峠に妖怪が出るという昔話がある。早朝に腹の膨らんだ餓鬼が現れ、旅人に「茶漬けを食べたか」と尋ねる。「食べなかった」と答えると通してくれるが、「食べた」と答えると襲いかかり、腹を裂いて茶漬けを取り出し、貪り食ったという。 (ja)
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  • 御斎峠(おとぎとうげ)は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と三重県伊賀市西山町を結ぶ峠。於土岐、於登岐、御伽とも表記する。昔から近江では伊賀・伊勢道、伊賀では京道(京街道)と呼ばれていた。標高は570m。 峠の名前の由来は、「三国地志」によると、鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによるという。 1582年、本能寺の変の後、摂津国にいた徳川家康が三河国岡崎城へ帰還するため、宇治田原から滋賀へ抜ける経路としてこの峠を使ったといわれる。案内した多羅尾光俊は、この功によって明治まで長い間、多羅尾領を押えていた。 峠に妖怪が出るという昔話がある。早朝に腹の膨らんだ餓鬼が現れ、旅人に「茶漬けを食べたか」と尋ねる。「食べなかった」と答えると通してくれるが、「食べた」と答えると襲いかかり、腹を裂いて茶漬けを取り出し、貪り食ったという。 (ja)
  • 御斎峠(おとぎとうげ)は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と三重県伊賀市西山町を結ぶ峠。於土岐、於登岐、御伽とも表記する。昔から近江では伊賀・伊勢道、伊賀では京道(京街道)と呼ばれていた。標高は570m。 峠の名前の由来は、「三国地志」によると、鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによるという。 1582年、本能寺の変の後、摂津国にいた徳川家康が三河国岡崎城へ帰還するため、宇治田原から滋賀へ抜ける経路としてこの峠を使ったといわれる。案内した多羅尾光俊は、この功によって明治まで長い間、多羅尾領を押えていた。 峠に妖怪が出るという昔話がある。早朝に腹の膨らんだ餓鬼が現れ、旅人に「茶漬けを食べたか」と尋ねる。「食べなかった」と答えると通してくれるが、「食べた」と答えると襲いかかり、腹を裂いて茶漬けを取り出し、貪り食ったという。 (ja)
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  • 御斎峠 (ja)
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