御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)は、第二次世界大戦中に、皇居吹上御苑内に造営された防空壕。主に昭和天皇とその一家の防空施設として作られた。昭和天皇が暮らした吹上御所(現:吹上大宮御所)のおよそ100m北東に建てられている。御文庫附属庫は、大本営会議室等の防空用施設として陸軍築城部本部により建設されたもので昭和16年8月12日工事着工し、同年9月30日に宮内省に引継がれた。その施設の性質や立地の条件などから、永らく一般に公開されることはなかったが、平成27年(2015年)8月1日、戦後70年の節目に当たり、宮内庁によって画像と動画が公開された。

Property Value
dbo:abstract
  • 御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)は、第二次世界大戦中に、皇居吹上御苑内に造営された防空壕。主に昭和天皇とその一家の防空施設として作られた。昭和天皇が暮らした吹上御所(現:吹上大宮御所)のおよそ100m北東に建てられている。御文庫附属庫は、大本営会議室等の防空用施設として陸軍築城部本部により建設されたもので昭和16年8月12日工事着工し、同年9月30日に宮内省に引継がれた。その施設の性質や立地の条件などから、永らく一般に公開されることはなかったが、平成27年(2015年)8月1日、戦後70年の節目に当たり、宮内庁によって画像と動画が公開された。 (ja)
  • 御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)は、第二次世界大戦中に、皇居吹上御苑内に造営された防空壕。主に昭和天皇とその一家の防空施設として作られた。昭和天皇が暮らした吹上御所(現:吹上大宮御所)のおよそ100m北東に建てられている。御文庫附属庫は、大本営会議室等の防空用施設として陸軍築城部本部により建設されたもので昭和16年8月12日工事着工し、同年9月30日に宮内省に引継がれた。その施設の性質や立地の条件などから、永らく一般に公開されることはなかったが、平成27年(2015年)8月1日、戦後70年の節目に当たり、宮内庁によって画像と動画が公開された。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 3259611 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 3024 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 85351607 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)は、第二次世界大戦中に、皇居吹上御苑内に造営された防空壕。主に昭和天皇とその一家の防空施設として作られた。昭和天皇が暮らした吹上御所(現:吹上大宮御所)のおよそ100m北東に建てられている。御文庫附属庫は、大本営会議室等の防空用施設として陸軍築城部本部により建設されたもので昭和16年8月12日工事着工し、同年9月30日に宮内省に引継がれた。その施設の性質や立地の条件などから、永らく一般に公開されることはなかったが、平成27年(2015年)8月1日、戦後70年の節目に当たり、宮内庁によって画像と動画が公開された。 (ja)
  • 御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)は、第二次世界大戦中に、皇居吹上御苑内に造営された防空壕。主に昭和天皇とその一家の防空施設として作られた。昭和天皇が暮らした吹上御所(現:吹上大宮御所)のおよそ100m北東に建てられている。御文庫附属庫は、大本営会議室等の防空用施設として陸軍築城部本部により建設されたもので昭和16年8月12日工事着工し、同年9月30日に宮内省に引継がれた。その施設の性質や立地の条件などから、永らく一般に公開されることはなかったが、平成27年(2015年)8月1日、戦後70年の節目に当たり、宮内庁によって画像と動画が公開された。 (ja)
rdfs:label
  • 御文庫附属庫 (ja)
  • 御文庫附属庫 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of