御一家(ごいっか)は、足利将軍家の同族の中でも征夷大将軍継承権を有し、室町幕府においては管領と同格もしくは上の家格として扱われた吉良氏・渋川氏・石橋氏のこと。特に吉良氏は御一家の中でも筆頭に位置づけられて、管領よりも上位に位置づけられていた。なお、石橋・渋川両氏間の家格の上下は確定されなかった。 なお、御一家の問題を研究してきた谷口雄太は「御一家」には2つの用法があり、従来の吉良・渋川・石橋の3氏を指す用法の他に("足利"を称する資格のない)足利氏の一門諸氏を指す用法があったことを指摘し、自身の造語であることを断った上で前者を「(足利)御三家」、後者を「(足利)一門」と呼ぶことを提唱している。

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  • 御一家(ごいっか)は、足利将軍家の同族の中でも征夷大将軍継承権を有し、室町幕府においては管領と同格もしくは上の家格として扱われた吉良氏・渋川氏・石橋氏のこと。特に吉良氏は御一家の中でも筆頭に位置づけられて、管領よりも上位に位置づけられていた。なお、石橋・渋川両氏間の家格の上下は確定されなかった。 なお、御一家の問題を研究してきた谷口雄太は「御一家」には2つの用法があり、従来の吉良・渋川・石橋の3氏を指す用法の他に("足利"を称する資格のない)足利氏の一門諸氏を指す用法があったことを指摘し、自身の造語であることを断った上で前者を「(足利)御三家」、後者を「(足利)一門」と呼ぶことを提唱している。 (ja)
  • 御一家(ごいっか)は、足利将軍家の同族の中でも征夷大将軍継承権を有し、室町幕府においては管領と同格もしくは上の家格として扱われた吉良氏・渋川氏・石橋氏のこと。特に吉良氏は御一家の中でも筆頭に位置づけられて、管領よりも上位に位置づけられていた。なお、石橋・渋川両氏間の家格の上下は確定されなかった。 なお、御一家の問題を研究してきた谷口雄太は「御一家」には2つの用法があり、従来の吉良・渋川・石橋の3氏を指す用法の他に("足利"を称する資格のない)足利氏の一門諸氏を指す用法があったことを指摘し、自身の造語であることを断った上で前者を「(足利)御三家」、後者を「(足利)一門」と呼ぶことを提唱している。 (ja)
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  • 御一家 (ja)
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