後藤 鉀二(ごとう こうじ、1906年11月13日 -1972年1月22日)は、日本の教育者。日本卓球協会会長としてピンポン外交に尽力、1971年の世界卓球選手権名古屋大会に文化大革命以来2大会連続で欠場していた中国の大会復帰を実現、大会中に起きた中国の元世界チャンピオンの荘則棟、アメリカ人選手、との交流から米中関係改善、日中国交正常化につながった。