度支顧問事件 (たくしこもんじけん)とは、1897年、駐韓ロシア公使シュペイエルが大韓帝国の度支衙門の顧問を、イギリスの推薦したジョン・マクレヴィ・ブラウンから自国人アレクセーエフに代えさせ、を設立しようとした事件である。