『左経記』(さけいき)とは、平安時代中期の貴族・源経頼の日記。題名は経頼が参議兼左大弁の地位にあった事に由来する。また、「経頼」の文字の偏の部分より『糸束記』(しそくき)という別称もある。 長和5年(1016年)より長元8年(1035年)まで途中に欠失があるものの、伝存している。また、別個に後世の人が長元2年(1029年)から同9年(1036年)までの災異記事を抽出した『類聚雑例(るいじゅうざつれい)』という書物もある。 藤原実資の『小右記』と比較して簡略ではあるものの、両者の比較研究によって11世紀前半の政治・社会情勢の研究に資するところが大きいとされている。

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  • 『左経記』(さけいき)とは、平安時代中期の貴族・源経頼の日記。題名は経頼が参議兼左大弁の地位にあった事に由来する。また、「経頼」の文字の偏の部分より『糸束記』(しそくき)という別称もある。 長和5年(1016年)より長元8年(1035年)まで途中に欠失があるものの、伝存している。また、別個に後世の人が長元2年(1029年)から同9年(1036年)までの災異記事を抽出した『類聚雑例(るいじゅうざつれい)』という書物もある。 藤原実資の『小右記』と比較して簡略ではあるものの、両者の比較研究によって11世紀前半の政治・社会情勢の研究に資するところが大きいとされている。 (ja)
  • 『左経記』(さけいき)とは、平安時代中期の貴族・源経頼の日記。題名は経頼が参議兼左大弁の地位にあった事に由来する。また、「経頼」の文字の偏の部分より『糸束記』(しそくき)という別称もある。 長和5年(1016年)より長元8年(1035年)まで途中に欠失があるものの、伝存している。また、別個に後世の人が長元2年(1029年)から同9年(1036年)までの災異記事を抽出した『類聚雑例(るいじゅうざつれい)』という書物もある。 藤原実資の『小右記』と比較して簡略ではあるものの、両者の比較研究によって11世紀前半の政治・社会情勢の研究に資するところが大きいとされている。 (ja)
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  • 『左経記』(さけいき)とは、平安時代中期の貴族・源経頼の日記。題名は経頼が参議兼左大弁の地位にあった事に由来する。また、「経頼」の文字の偏の部分より『糸束記』(しそくき)という別称もある。 長和5年(1016年)より長元8年(1035年)まで途中に欠失があるものの、伝存している。また、別個に後世の人が長元2年(1029年)から同9年(1036年)までの災異記事を抽出した『類聚雑例(るいじゅうざつれい)』という書物もある。 藤原実資の『小右記』と比較して簡略ではあるものの、両者の比較研究によって11世紀前半の政治・社会情勢の研究に資するところが大きいとされている。 (ja)
  • 『左経記』(さけいき)とは、平安時代中期の貴族・源経頼の日記。題名は経頼が参議兼左大弁の地位にあった事に由来する。また、「経頼」の文字の偏の部分より『糸束記』(しそくき)という別称もある。 長和5年(1016年)より長元8年(1035年)まで途中に欠失があるものの、伝存している。また、別個に後世の人が長元2年(1029年)から同9年(1036年)までの災異記事を抽出した『類聚雑例(るいじゅうざつれい)』という書物もある。 藤原実資の『小右記』と比較して簡略ではあるものの、両者の比較研究によって11世紀前半の政治・社会情勢の研究に資するところが大きいとされている。 (ja)
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  • 左経記 (ja)
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