岩田 通徳(いわた みちのり、文政9年(1826年) - 明治40年(1907年))は、幕末の幕臣(旗本)。通称は半太郎。官名は織部正。三男に岩田武夫(工学博士、横浜電燈会社初代技師長)がいる。 講武所頭取並から目付となり、慶応3年(1867年)5月京都見廻役並となり、京都見廻役となる。12月の軍制再編に伴い頭となるが、再編となり京都見廻役となる慶応4年(1868年)1月に江戸に戻る。隊士を指揮し江戸城警備などの任務にあたった。同年3月狙撃隊頭となる。閏4月日光奉行兼帯となり隊士とともに日光に出陣するが、新政府から退去命令が下った。幕府の職制として最後の日光奉行である。徳川家の静岡藩転封に従い駿府に移住し、明治2年(1869年)に掛川奉行となった。廃藩置県ののち、雅楽課に勤務し、『音律入門』(一松堂、1878)を執筆した。

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  • 岩田 通徳(いわた みちのり、文政9年(1826年) - 明治40年(1907年))は、幕末の幕臣(旗本)。通称は半太郎。官名は織部正。三男に岩田武夫(工学博士、横浜電燈会社初代技師長)がいる。 講武所頭取並から目付となり、慶応3年(1867年)5月京都見廻役並となり、京都見廻役となる。12月の軍制再編に伴い頭となるが、再編となり京都見廻役となる慶応4年(1868年)1月に江戸に戻る。隊士を指揮し江戸城警備などの任務にあたった。同年3月狙撃隊頭となる。閏4月日光奉行兼帯となり隊士とともに日光に出陣するが、新政府から退去命令が下った。幕府の職制として最後の日光奉行である。徳川家の静岡藩転封に従い駿府に移住し、明治2年(1869年)に掛川奉行となった。廃藩置県ののち、雅楽課に勤務し、『音律入門』(一松堂、1878)を執筆した。 (ja)
  • 岩田 通徳(いわた みちのり、文政9年(1826年) - 明治40年(1907年))は、幕末の幕臣(旗本)。通称は半太郎。官名は織部正。三男に岩田武夫(工学博士、横浜電燈会社初代技師長)がいる。 講武所頭取並から目付となり、慶応3年(1867年)5月京都見廻役並となり、京都見廻役となる。12月の軍制再編に伴い頭となるが、再編となり京都見廻役となる慶応4年(1868年)1月に江戸に戻る。隊士を指揮し江戸城警備などの任務にあたった。同年3月狙撃隊頭となる。閏4月日光奉行兼帯となり隊士とともに日光に出陣するが、新政府から退去命令が下った。幕府の職制として最後の日光奉行である。徳川家の静岡藩転封に従い駿府に移住し、明治2年(1869年)に掛川奉行となった。廃藩置県ののち、雅楽課に勤務し、『音律入門』(一松堂、1878)を執筆した。 (ja)
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  • 岩田 通徳(いわた みちのり、文政9年(1826年) - 明治40年(1907年))は、幕末の幕臣(旗本)。通称は半太郎。官名は織部正。三男に岩田武夫(工学博士、横浜電燈会社初代技師長)がいる。 講武所頭取並から目付となり、慶応3年(1867年)5月京都見廻役並となり、京都見廻役となる。12月の軍制再編に伴い頭となるが、再編となり京都見廻役となる慶応4年(1868年)1月に江戸に戻る。隊士を指揮し江戸城警備などの任務にあたった。同年3月狙撃隊頭となる。閏4月日光奉行兼帯となり隊士とともに日光に出陣するが、新政府から退去命令が下った。幕府の職制として最後の日光奉行である。徳川家の静岡藩転封に従い駿府に移住し、明治2年(1869年)に掛川奉行となった。廃藩置県ののち、雅楽課に勤務し、『音律入門』(一松堂、1878)を執筆した。 (ja)
  • 岩田 通徳(いわた みちのり、文政9年(1826年) - 明治40年(1907年))は、幕末の幕臣(旗本)。通称は半太郎。官名は織部正。三男に岩田武夫(工学博士、横浜電燈会社初代技師長)がいる。 講武所頭取並から目付となり、慶応3年(1867年)5月京都見廻役並となり、京都見廻役となる。12月の軍制再編に伴い頭となるが、再編となり京都見廻役となる慶応4年(1868年)1月に江戸に戻る。隊士を指揮し江戸城警備などの任務にあたった。同年3月狙撃隊頭となる。閏4月日光奉行兼帯となり隊士とともに日光に出陣するが、新政府から退去命令が下った。幕府の職制として最後の日光奉行である。徳川家の静岡藩転封に従い駿府に移住し、明治2年(1869年)に掛川奉行となった。廃藩置県ののち、雅楽課に勤務し、『音律入門』(一松堂、1878)を執筆した。 (ja)
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  • 岩田通徳 (ja)
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