山村座(やまむらざ)は、かつて存在した日本の映画館である。正確な年代は不明であるが1920年代、1929年(昭和4年)にはすでに大阪府泉南郡貝塚町大字近木町(現在の同府貝塚市近木)に開館している。第二次世界大戦後はいち早く復興し、多くの日本映画を上映した。1963年(昭和38年)には、前年に閉館した市内の東映系の劇場に代って貝塚東映(かいづかとうえい)と改称したが、改称3年後の1966年(昭和41年)には閉館した。同市内に本拠地のあったニチボー貝塚(のちのユニチカ・フェニックス)に所属した、「東洋の魔女」のひとり河西昌枝が、同館に通うことが「唯一の楽しみ」と語った映画館である。