山中城(やまなかじょう)は、三河国額田郡山中(現在の愛知県岡崎市舞木町・羽栗町)にあった戦国期の愛知県内最大級の山城。山中城は鎌倉街道(旧東海道)を北に見下ろし、舞木、山綱の両方から南行分岐する鎌倉街道(吉良道)を南の眼下に見下ろす、通称城山、岩尾山、医王山とも呼ばれる標高約195m(比高約100m)の山上一帯に築かれている。現在残る遺構は、徳川家康の関東移封当時のままの姿をとどめ、東西約400m、南北約250mで、愛知県内の戦国期山城の中で最大級の規模である。