尖閣諸島戦時遭難事件(せんかくしょとうせんじそうなんじけん)あるいは尖閣列島戦時遭難事件(せんかくれっとうせんじそうなんじけん)は、太平洋戦争末期の1945年7月に日本の小型船2隻がアメリカ軍機の攻撃を受け、当時、無人島だった尖閣諸島に漂着した事件である。約50日後に救出されたが、戦闘と飢餓などにより50人以上が死亡した。石垣島から台湾へ民間人を疎開させる途中に遭難したもので、対馬丸以外に沖縄県からの疎開船が撃沈破された数少ない事例である。台湾疎開石垣町民遭難事件、あるいは遭難船名に由来して一心丸・友福丸事件とも呼ばれる。