小栗 忠七(おぐり ちゅうしち、1891年11月 - 1964年)は、日本の都市計画家。内務省の建設官僚として、「都市計画法規類集」及び「土地区画整理の歴史と法制」の編さん出版を始め都市計画の指導、発展に多大な功績を残す。また内地及び日本統治下の台湾などで制度の立案・運用に関わった。 「疎開」という日本語の生みの親の一人でもある。