対馬丸(つしままる)は、山陽鉄道傍系の山陽汽船による下関 - 釜山間の関釜航路開設のため、三菱合資会社三菱造船所で建造された2隻の壱岐丸型海峡渡船の第2船で、第1船壱岐丸に遅れること2ヵ月の 1905年(明治38年)11月1日就航した。 1923年(大正12年)3月10日、稚内と樺太大泊を結ぶ稚泊航路開設のため札幌鉄道局へ転属したが、砕氷船化工事のため、就航は同年6月8日となり、稚泊航路開設の同年5月1日から本船就航までは、当時青函航路所属であった姉妹船壱岐丸を代船として就航させた。 1925年(大正14年)12月17日、稚内に向け航行中、吹雪による視界不良の中、針路を誤り、稚内港外野寒岬沖で座礁、その後全損、船体放棄となった。