宝永正字丁銀(ほうえいせいじちょうぎん)とは宝永7年(1710年)に、朝鮮通信使または琉球からの使節に贈る特鋳銀として発行された丁銀の一種で秤量銀貨であり、異国被下銀(いこくくだされぎん)とも呼ばれた。 表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれ、その極印は宝永四ツ宝丁銀のものと同一であり、これに加えて中央部に「正」字の極印が打たれる点で人参代往古丁銀と区別され、品位は慶長丁銀と同一であり、「正」とは「正銀」であり本来の銀品位であるとの意味である。人参代往古銀が貿易取引目的に対し、正字丁銀は賞賜用の色が濃いものであった。『金銀図録』によると対応する「正」字極印を打った豆板銀も鋳造された様であるが、正字豆板銀は現存未確認である。

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  • 宝永正字丁銀(ほうえいせいじちょうぎん)とは宝永7年(1710年)に、朝鮮通信使または琉球からの使節に贈る特鋳銀として発行された丁銀の一種で秤量銀貨であり、異国被下銀(いこくくだされぎん)とも呼ばれた。 表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれ、その極印は宝永四ツ宝丁銀のものと同一であり、これに加えて中央部に「正」字の極印が打たれる点で人参代往古丁銀と区別され、品位は慶長丁銀と同一であり、「正」とは「正銀」であり本来の銀品位であるとの意味である。人参代往古銀が貿易取引目的に対し、正字丁銀は賞賜用の色が濃いものであった。『金銀図録』によると対応する「正」字極印を打った豆板銀も鋳造された様であるが、正字豆板銀は現存未確認である。 (ja)
  • 宝永正字丁銀(ほうえいせいじちょうぎん)とは宝永7年(1710年)に、朝鮮通信使または琉球からの使節に贈る特鋳銀として発行された丁銀の一種で秤量銀貨であり、異国被下銀(いこくくだされぎん)とも呼ばれた。 表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれ、その極印は宝永四ツ宝丁銀のものと同一であり、これに加えて中央部に「正」字の極印が打たれる点で人参代往古丁銀と区別され、品位は慶長丁銀と同一であり、「正」とは「正銀」であり本来の銀品位であるとの意味である。人参代往古銀が貿易取引目的に対し、正字丁銀は賞賜用の色が濃いものであった。『金銀図録』によると対応する「正」字極印を打った豆板銀も鋳造された様であるが、正字豆板銀は現存未確認である。 (ja)
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  • 宝永正字丁銀(ほうえいせいじちょうぎん)とは宝永7年(1710年)に、朝鮮通信使または琉球からの使節に贈る特鋳銀として発行された丁銀の一種で秤量銀貨であり、異国被下銀(いこくくだされぎん)とも呼ばれた。 表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれ、その極印は宝永四ツ宝丁銀のものと同一であり、これに加えて中央部に「正」字の極印が打たれる点で人参代往古丁銀と区別され、品位は慶長丁銀と同一であり、「正」とは「正銀」であり本来の銀品位であるとの意味である。人参代往古銀が貿易取引目的に対し、正字丁銀は賞賜用の色が濃いものであった。『金銀図録』によると対応する「正」字極印を打った豆板銀も鋳造された様であるが、正字豆板銀は現存未確認である。 (ja)
  • 宝永正字丁銀(ほうえいせいじちょうぎん)とは宝永7年(1710年)に、朝鮮通信使または琉球からの使節に贈る特鋳銀として発行された丁銀の一種で秤量銀貨であり、異国被下銀(いこくくだされぎん)とも呼ばれた。 表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれ、その極印は宝永四ツ宝丁銀のものと同一であり、これに加えて中央部に「正」字の極印が打たれる点で人参代往古丁銀と区別され、品位は慶長丁銀と同一であり、「正」とは「正銀」であり本来の銀品位であるとの意味である。人参代往古銀が貿易取引目的に対し、正字丁銀は賞賜用の色が濃いものであった。『金銀図録』によると対応する「正」字極印を打った豆板銀も鋳造された様であるが、正字豆板銀は現存未確認である。 (ja)
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  • 宝永正字丁銀 (ja)
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