宝林伝(ほうりんでん)は、正しくは大唐韶州雙峰山曹侯渓寶林傳(だいとう しょうしゅう そうほうざん そうこうけい ほうりんでん)を書名とする、唐の貞元17年(801年)に成立した禅の灯史である。本来は全10巻であるが、現行テキストは、巻2は『』によって補われたものであり、巻7、巻9、巻10の3巻を欠いている。作者は(或いは慧炬)。 古くは、円仁将来の記録もあり、唐代には広範に流布していたとされるが、宋代になると、『景徳伝灯録』などの新出の灯史が出現し、またそれらが、大蔵経に入蔵されたことによって、急速に存在の意義を失ってしまい、やがて散佚することとなってしまった。 現行本は、山西省趙城県で発見された金蔵所収本(巻1 - 巻5, 巻8)、京都の青蓮院蔵本(巻6)の合本である。 また、佚書ではあるが、唐末のによって、『』が編纂されたことが知られる。

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  • 宝林伝(ほうりんでん)は、正しくは大唐韶州雙峰山曹侯渓寶林傳(だいとう しょうしゅう そうほうざん そうこうけい ほうりんでん)を書名とする、唐の貞元17年(801年)に成立した禅の灯史である。本来は全10巻であるが、現行テキストは、巻2は『』によって補われたものであり、巻7、巻9、巻10の3巻を欠いている。作者は(或いは慧炬)。 古くは、円仁将来の記録もあり、唐代には広範に流布していたとされるが、宋代になると、『景徳伝灯録』などの新出の灯史が出現し、またそれらが、大蔵経に入蔵されたことによって、急速に存在の意義を失ってしまい、やがて散佚することとなってしまった。 現行本は、山西省趙城県で発見された金蔵所収本(巻1 - 巻5, 巻8)、京都の青蓮院蔵本(巻6)の合本である。 また、佚書ではあるが、唐末のによって、『』が編纂されたことが知られる。 (ja)
  • 宝林伝(ほうりんでん)は、正しくは大唐韶州雙峰山曹侯渓寶林傳(だいとう しょうしゅう そうほうざん そうこうけい ほうりんでん)を書名とする、唐の貞元17年(801年)に成立した禅の灯史である。本来は全10巻であるが、現行テキストは、巻2は『』によって補われたものであり、巻7、巻9、巻10の3巻を欠いている。作者は(或いは慧炬)。 古くは、円仁将来の記録もあり、唐代には広範に流布していたとされるが、宋代になると、『景徳伝灯録』などの新出の灯史が出現し、またそれらが、大蔵経に入蔵されたことによって、急速に存在の意義を失ってしまい、やがて散佚することとなってしまった。 現行本は、山西省趙城県で発見された金蔵所収本(巻1 - 巻5, 巻8)、京都の青蓮院蔵本(巻6)の合本である。 また、佚書ではあるが、唐末のによって、『』が編纂されたことが知られる。 (ja)
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  • 宝林伝(ほうりんでん)は、正しくは大唐韶州雙峰山曹侯渓寶林傳(だいとう しょうしゅう そうほうざん そうこうけい ほうりんでん)を書名とする、唐の貞元17年(801年)に成立した禅の灯史である。本来は全10巻であるが、現行テキストは、巻2は『』によって補われたものであり、巻7、巻9、巻10の3巻を欠いている。作者は(或いは慧炬)。 古くは、円仁将来の記録もあり、唐代には広範に流布していたとされるが、宋代になると、『景徳伝灯録』などの新出の灯史が出現し、またそれらが、大蔵経に入蔵されたことによって、急速に存在の意義を失ってしまい、やがて散佚することとなってしまった。 現行本は、山西省趙城県で発見された金蔵所収本(巻1 - 巻5, 巻8)、京都の青蓮院蔵本(巻6)の合本である。 また、佚書ではあるが、唐末のによって、『』が編纂されたことが知られる。 (ja)
  • 宝林伝(ほうりんでん)は、正しくは大唐韶州雙峰山曹侯渓寶林傳(だいとう しょうしゅう そうほうざん そうこうけい ほうりんでん)を書名とする、唐の貞元17年(801年)に成立した禅の灯史である。本来は全10巻であるが、現行テキストは、巻2は『』によって補われたものであり、巻7、巻9、巻10の3巻を欠いている。作者は(或いは慧炬)。 古くは、円仁将来の記録もあり、唐代には広範に流布していたとされるが、宋代になると、『景徳伝灯録』などの新出の灯史が出現し、またそれらが、大蔵経に入蔵されたことによって、急速に存在の意義を失ってしまい、やがて散佚することとなってしまった。 現行本は、山西省趙城県で発見された金蔵所収本(巻1 - 巻5, 巻8)、京都の青蓮院蔵本(巻6)の合本である。 また、佚書ではあるが、唐末のによって、『』が編纂されたことが知られる。 (ja)
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  • 宝林伝 (ja)
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