宝暦の飢饉(ほうれきのききん、ほうりゃくのききん)は、江戸時代に発生した飢饉。宝暦5年(1755年)から翌年にかけて、東北地方から北関東まで被害がおよんだ。宝五の飢饉、宝五の大飢饉または亥年凶作、宝暦五年大凶作とも呼ばれ、「神武以来ノ大凶年」と伝えられる。民衆生活に甚大な被害があり、近世後期の東北や北関東を衰微させた。 江戸時代の「江戸三大飢饉」は一般に、享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉とされるが、東北地方では享保の大飢饉を除き「宝暦」「天明」「天保」の飢饉を三大飢饉と称する。これに元禄の飢饉をくわえて四大飢饉ともいう。地域によっては天明や天保の飢饉の時よりも被害が大きいところもあり、近世最大級の飢饉の1つと目されている。冷害による被害を主とし、地域によっては水害や虫害も加わって大凶作になった なお、宝暦5年には隠岐国で極端な雨不足の後の長雨および大暴風による大飢饉が、宝暦6年には四国で蝗害による飢饉が発生しているが、この項では主に東北地方による冷害を原因とした飢饉について扱う。

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  • 宝暦の飢饉(ほうれきのききん、ほうりゃくのききん)は、江戸時代に発生した飢饉。宝暦5年(1755年)から翌年にかけて、東北地方から北関東まで被害がおよんだ。宝五の飢饉、宝五の大飢饉または亥年凶作、宝暦五年大凶作とも呼ばれ、「神武以来ノ大凶年」と伝えられる。民衆生活に甚大な被害があり、近世後期の東北や北関東を衰微させた。 江戸時代の「江戸三大飢饉」は一般に、享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉とされるが、東北地方では享保の大飢饉を除き「宝暦」「天明」「天保」の飢饉を三大飢饉と称する。これに元禄の飢饉をくわえて四大飢饉ともいう。地域によっては天明や天保の飢饉の時よりも被害が大きいところもあり、近世最大級の飢饉の1つと目されている。冷害による被害を主とし、地域によっては水害や虫害も加わって大凶作になった なお、宝暦5年には隠岐国で極端な雨不足の後の長雨および大暴風による大飢饉が、宝暦6年には四国で蝗害による飢饉が発生しているが、この項では主に東北地方による冷害を原因とした飢饉について扱う。 (ja)
  • 宝暦の飢饉(ほうれきのききん、ほうりゃくのききん)は、江戸時代に発生した飢饉。宝暦5年(1755年)から翌年にかけて、東北地方から北関東まで被害がおよんだ。宝五の飢饉、宝五の大飢饉または亥年凶作、宝暦五年大凶作とも呼ばれ、「神武以来ノ大凶年」と伝えられる。民衆生活に甚大な被害があり、近世後期の東北や北関東を衰微させた。 江戸時代の「江戸三大飢饉」は一般に、享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉とされるが、東北地方では享保の大飢饉を除き「宝暦」「天明」「天保」の飢饉を三大飢饉と称する。これに元禄の飢饉をくわえて四大飢饉ともいう。地域によっては天明や天保の飢饉の時よりも被害が大きいところもあり、近世最大級の飢饉の1つと目されている。冷害による被害を主とし、地域によっては水害や虫害も加わって大凶作になった なお、宝暦5年には隠岐国で極端な雨不足の後の長雨および大暴風による大飢饉が、宝暦6年には四国で蝗害による飢饉が発生しているが、この項では主に東北地方による冷害を原因とした飢饉について扱う。 (ja)
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  • 宝暦の飢饉(ほうれきのききん、ほうりゃくのききん)は、江戸時代に発生した飢饉。宝暦5年(1755年)から翌年にかけて、東北地方から北関東まで被害がおよんだ。宝五の飢饉、宝五の大飢饉または亥年凶作、宝暦五年大凶作とも呼ばれ、「神武以来ノ大凶年」と伝えられる。民衆生活に甚大な被害があり、近世後期の東北や北関東を衰微させた。 江戸時代の「江戸三大飢饉」は一般に、享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉とされるが、東北地方では享保の大飢饉を除き「宝暦」「天明」「天保」の飢饉を三大飢饉と称する。これに元禄の飢饉をくわえて四大飢饉ともいう。地域によっては天明や天保の飢饉の時よりも被害が大きいところもあり、近世最大級の飢饉の1つと目されている。冷害による被害を主とし、地域によっては水害や虫害も加わって大凶作になった なお、宝暦5年には隠岐国で極端な雨不足の後の長雨および大暴風による大飢饉が、宝暦6年には四国で蝗害による飢饉が発生しているが、この項では主に東北地方による冷害を原因とした飢饉について扱う。 (ja)
  • 宝暦の飢饉(ほうれきのききん、ほうりゃくのききん)は、江戸時代に発生した飢饉。宝暦5年(1755年)から翌年にかけて、東北地方から北関東まで被害がおよんだ。宝五の飢饉、宝五の大飢饉または亥年凶作、宝暦五年大凶作とも呼ばれ、「神武以来ノ大凶年」と伝えられる。民衆生活に甚大な被害があり、近世後期の東北や北関東を衰微させた。 江戸時代の「江戸三大飢饉」は一般に、享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉とされるが、東北地方では享保の大飢饉を除き「宝暦」「天明」「天保」の飢饉を三大飢饉と称する。これに元禄の飢饉をくわえて四大飢饉ともいう。地域によっては天明や天保の飢饉の時よりも被害が大きいところもあり、近世最大級の飢饉の1つと目されている。冷害による被害を主とし、地域によっては水害や虫害も加わって大凶作になった なお、宝暦5年には隠岐国で極端な雨不足の後の長雨および大暴風による大飢饉が、宝暦6年には四国で蝗害による飢饉が発生しているが、この項では主に東北地方による冷害を原因とした飢饉について扱う。 (ja)
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  • 宝暦の飢饉 (ja)
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