宇良田 唯(うらた ただ、1873年〈明治6年〉5月3日 - 1936年〈昭和11年〉6月18日)は、日本の医師。ドイツの医学士号「ドクトル・メディツィーネ(Doctor medicinae)」を日本人女性として初めて取得した人物。日本国内外で活躍、特に中国の天津では25年にわたって総合病院を営み、長年にわたって貧富を問わず、病気に苦しむ人々を助けた。その一方では、女性の地位が低いとされた時代に、その立場に悩み、また自分を支えてくれた父や夫を喪うなど、波乱に満ちた人生を送った。「宇良田」は出生時の姓であり、結婚後の本名は「中村 唯」。下の名は、戸籍では「タゞ(タダ)」だが、本人は好んで「唯」表記を用いたといわれている。通称は「唯子(ただこ)」。他に「タダ子」と表記する資料もある。