姚 泓(よう おう)は五胡十六国時代の後秦の第3代皇帝。二代目の姚興の長男。諡号がないため、末主や帝泓と称される。 父姚興の部将であった時から仏教に傾倒するあまり文弱と評価され、416年に即位してからも夏の赫連勃勃のゲリラ攻撃や親族の造反に苦しめられた。最終的には東晋の劉裕に国を滅ぼされ、東晋の都建康で処刑された。