姈子内親王(れいしないしんのう、文永7年9月19日〈西暦換算1270年10月5日〉- 徳治2年7月24日〈1307年8月22日〉)は、鎌倉時代後期の皇族・歌人。後宇多天皇の後宮、尊称皇后、女院。院号は遊義門院(ゆうぎもんいん)。父は後深草天皇 、母は中宮 西園寺公子(東二条院)。 和歌に優れ、『新後撰和歌集』以後の勅撰集に計27首が入集している。女房には、二条派の代表的歌人である二条為子(尊治親王 のちの後醍醐天皇 の正妃)や、遊義門院一条局(同側室)らがいた。