奥山 公重(おくやま きみしげ、大永6年(1526年) - 慶長7年(1602年))は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての新陰流の兵法家、剣客。公重の系統の新陰流は「奥山神影流」、「奥山流」と呼ばれる。本姓は奥平氏。初名は定国で、後に徳川家康から「公」の字を与えられて公重に改めた。通称は孫次郎。号は休賀斎(急加斎とも)。剃髪後は音寿斎と号した。奥平久賀とも。