大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。 天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。 嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。

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  • 大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。 天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。 嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。 (ja)
  • 大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。 天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。 嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。 (ja)
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  • 大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。 天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。 嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。 (ja)
  • 大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。 天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。 嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。 (ja)
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