大日本映画嵯峨野撮影所(大映嵯峨野撮影所、だいにほんえいが さがのさつえいじょ、だいえい-)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。第二次世界大戦後に大映の社長に就任することになる永田雅一が日活から独立して設立したが、1935年(昭和10年)1月に第一映画撮影所(だいいちえいが-)として建設・開所した。その後、新興キネマ京都太秦第二撮影所(しんこうキネマきょうとうずまさだいに-)となり、1942年(昭和17年)に新興キネマが戦時統制で合併して設立した大日本映画(のちの大映)の撮影所となった。