大星 三松(おおほし さんまつ、1874年2月4日 - 1949年10月23日)は、日本の実業家で、大星組創業者。福井県出身。号は「讃平」。 福井の大工職人のの三子として生まれ、1890年北海道に兄と共に移住。1901年までは、や官庁の雇い大工として勤務。1901年に建築請負業「大星組」として独立。但し、個人施主の受注はせず、官公庁工事や企業工事を専門とした。札幌区立札幌東北尋常小学校新築工事(1909年竣工)、創成小学校校舎改築工事(1909年竣工)、札幌区立豊水尋常高等小学校校舎改修工事(1911年竣工)、札幌市公会堂(1922年竣工)を手掛け、特に、北海道鉄道管理局庁舎(1915年竣工)は当時名建築と言わしめた。北海道帝國大学施設も手掛け、北海道帝國大学工学部校舎の六角堂や(何れも1923年竣工)。北海道帝國大学理学部校舎(1929年竣工)。しかし、当該理学部校舎が予想以上に材料費がかさみ、大損。昭和金融恐慌や昭和恐慌の不景気も相まって、業績が落ち込み、1931年に廃業。 1916年の創立に参画し、同評議員。1922年のの設立にも参画した。 その後は、やと共に三木株式会社を創設し製材業をしていたという。その製材事業は子息・がとして引き継いだという。 兄に大星鶴松、親族にNTTドコモ会長の大星公二がいる。

Property Value
dbo:abstract
  • 大星 三松(おおほし さんまつ、1874年2月4日 - 1949年10月23日)は、日本の実業家で、大星組創業者。福井県出身。号は「讃平」。 福井の大工職人のの三子として生まれ、1890年北海道に兄と共に移住。1901年までは、や官庁の雇い大工として勤務。1901年に建築請負業「大星組」として独立。但し、個人施主の受注はせず、官公庁工事や企業工事を専門とした。札幌区立札幌東北尋常小学校新築工事(1909年竣工)、創成小学校校舎改築工事(1909年竣工)、札幌区立豊水尋常高等小学校校舎改修工事(1911年竣工)、札幌市公会堂(1922年竣工)を手掛け、特に、北海道鉄道管理局庁舎(1915年竣工)は当時名建築と言わしめた。北海道帝國大学施設も手掛け、北海道帝國大学工学部校舎の六角堂や(何れも1923年竣工)。北海道帝國大学理学部校舎(1929年竣工)。しかし、当該理学部校舎が予想以上に材料費がかさみ、大損。昭和金融恐慌や昭和恐慌の不景気も相まって、業績が落ち込み、1931年に廃業。 1916年の創立に参画し、同評議員。1922年のの設立にも参画した。 その後は、やと共に三木株式会社を創設し製材業をしていたという。その製材事業は子息・がとして引き継いだという。 兄に大星鶴松、親族にNTTドコモ会長の大星公二がいる。 (ja)
  • 大星 三松(おおほし さんまつ、1874年2月4日 - 1949年10月23日)は、日本の実業家で、大星組創業者。福井県出身。号は「讃平」。 福井の大工職人のの三子として生まれ、1890年北海道に兄と共に移住。1901年までは、や官庁の雇い大工として勤務。1901年に建築請負業「大星組」として独立。但し、個人施主の受注はせず、官公庁工事や企業工事を専門とした。札幌区立札幌東北尋常小学校新築工事(1909年竣工)、創成小学校校舎改築工事(1909年竣工)、札幌区立豊水尋常高等小学校校舎改修工事(1911年竣工)、札幌市公会堂(1922年竣工)を手掛け、特に、北海道鉄道管理局庁舎(1915年竣工)は当時名建築と言わしめた。北海道帝國大学施設も手掛け、北海道帝國大学工学部校舎の六角堂や(何れも1923年竣工)。北海道帝國大学理学部校舎(1929年竣工)。しかし、当該理学部校舎が予想以上に材料費がかさみ、大損。昭和金融恐慌や昭和恐慌の不景気も相まって、業績が落ち込み、1931年に廃業。 1916年の創立に参画し、同評議員。1922年のの設立にも参画した。 その後は、やと共に三木株式会社を創設し製材業をしていたという。その製材事業は子息・がとして引き継いだという。 兄に大星鶴松、親族にNTTドコモ会長の大星公二がいる。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 2048779 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1340 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 87051730 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
dct:subject
rdfs:comment
  • 大星 三松(おおほし さんまつ、1874年2月4日 - 1949年10月23日)は、日本の実業家で、大星組創業者。福井県出身。号は「讃平」。 福井の大工職人のの三子として生まれ、1890年北海道に兄と共に移住。1901年までは、や官庁の雇い大工として勤務。1901年に建築請負業「大星組」として独立。但し、個人施主の受注はせず、官公庁工事や企業工事を専門とした。札幌区立札幌東北尋常小学校新築工事(1909年竣工)、創成小学校校舎改築工事(1909年竣工)、札幌区立豊水尋常高等小学校校舎改修工事(1911年竣工)、札幌市公会堂(1922年竣工)を手掛け、特に、北海道鉄道管理局庁舎(1915年竣工)は当時名建築と言わしめた。北海道帝國大学施設も手掛け、北海道帝國大学工学部校舎の六角堂や(何れも1923年竣工)。北海道帝國大学理学部校舎(1929年竣工)。しかし、当該理学部校舎が予想以上に材料費がかさみ、大損。昭和金融恐慌や昭和恐慌の不景気も相まって、業績が落ち込み、1931年に廃業。 1916年の創立に参画し、同評議員。1922年のの設立にも参画した。 その後は、やと共に三木株式会社を創設し製材業をしていたという。その製材事業は子息・がとして引き継いだという。 兄に大星鶴松、親族にNTTドコモ会長の大星公二がいる。 (ja)
  • 大星 三松(おおほし さんまつ、1874年2月4日 - 1949年10月23日)は、日本の実業家で、大星組創業者。福井県出身。号は「讃平」。 福井の大工職人のの三子として生まれ、1890年北海道に兄と共に移住。1901年までは、や官庁の雇い大工として勤務。1901年に建築請負業「大星組」として独立。但し、個人施主の受注はせず、官公庁工事や企業工事を専門とした。札幌区立札幌東北尋常小学校新築工事(1909年竣工)、創成小学校校舎改築工事(1909年竣工)、札幌区立豊水尋常高等小学校校舎改修工事(1911年竣工)、札幌市公会堂(1922年竣工)を手掛け、特に、北海道鉄道管理局庁舎(1915年竣工)は当時名建築と言わしめた。北海道帝國大学施設も手掛け、北海道帝國大学工学部校舎の六角堂や(何れも1923年竣工)。北海道帝國大学理学部校舎(1929年竣工)。しかし、当該理学部校舎が予想以上に材料費がかさみ、大損。昭和金融恐慌や昭和恐慌の不景気も相まって、業績が落ち込み、1931年に廃業。 1916年の創立に参画し、同評議員。1922年のの設立にも参画した。 その後は、やと共に三木株式会社を創設し製材業をしていたという。その製材事業は子息・がとして引き継いだという。 兄に大星鶴松、親族にNTTドコモ会長の大星公二がいる。 (ja)
rdfs:label
  • 大星三松 (ja)
  • 大星三松 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of