堀江六人斬り事件(ほりえろくにんぎりじけん)は、1905年(明治38年)6月21日未明、大阪堀江遊郭の貸座敷「山梅楼」(やまうめろう)の当主・中川萬次郎が、内縁の妻(山梅楼女将)の親族ら6人を刀剣で斬り付け、5人が死亡した事件である。 両腕を切断されながら生き残った芸妓・津満吉(=妻吉)は、その後結婚、出産、離婚を経て高野山で出家得度し、名を大石順教と改め、半生を障害者の福祉に捧げた。