土肥 淳一郎(どひ じゅんいちろう、1906年(明治39年)11月 - 1997年(平成9年)5月3日)は、日本の医学者、皮膚科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。東京慈恵会医科大学附属青戸病院・東京慈恵会医科大学附属病院院長を歴任し、私学として初の日本皮膚科学会会頭を務めた。医学博士(1937年、東京帝国大学)。 皮膚科学の権威で日本皮膚科学会創立者土肥慶蔵は大叔(伯)父、父は元国立金沢病院院長で日本皮膚科学会土肥章司。 子のは、麻布中学校在学中1954年に内郷丸遭難事件で犠牲となった。