和田 重郎(わだ じゅうろう、生年不詳 - 慶応4年1月4日(1868年1月28日))は新選組隊士。名は十郎と記す書物もある。出身は若狭国というが、近江国ともいう。 1864年12月迄の京坂における隊士募集に応じ、入隊。同年12月の編成では、伊東甲子太郎の二番組に所属。行軍録には蟻通勘吾と鈴木三樹三郎の間に名を連ねる。1867年6月10日の幕府召抱えでは、平同士として名を連ねている。翌年1月4日、鳥羽・伏見の戦いの際、伏見にて戦死。御香宮神社の名簿に名あり。

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  • 和田 重郎(わだ じゅうろう、生年不詳 - 慶応4年1月4日(1868年1月28日))は新選組隊士。名は十郎と記す書物もある。出身は若狭国というが、近江国ともいう。 1864年12月迄の京坂における隊士募集に応じ、入隊。同年12月の編成では、伊東甲子太郎の二番組に所属。行軍録には蟻通勘吾と鈴木三樹三郎の間に名を連ねる。1867年6月10日の幕府召抱えでは、平同士として名を連ねている。翌年1月4日、鳥羽・伏見の戦いの際、伏見にて戦死。御香宮神社の名簿に名あり。 (ja)
  • 和田 重郎(わだ じゅうろう、生年不詳 - 慶応4年1月4日(1868年1月28日))は新選組隊士。名は十郎と記す書物もある。出身は若狭国というが、近江国ともいう。 1864年12月迄の京坂における隊士募集に応じ、入隊。同年12月の編成では、伊東甲子太郎の二番組に所属。行軍録には蟻通勘吾と鈴木三樹三郎の間に名を連ねる。1867年6月10日の幕府召抱えでは、平同士として名を連ねている。翌年1月4日、鳥羽・伏見の戦いの際、伏見にて戦死。御香宮神社の名簿に名あり。 (ja)
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  • 和田 重郎(わだ じゅうろう、生年不詳 - 慶応4年1月4日(1868年1月28日))は新選組隊士。名は十郎と記す書物もある。出身は若狭国というが、近江国ともいう。 1864年12月迄の京坂における隊士募集に応じ、入隊。同年12月の編成では、伊東甲子太郎の二番組に所属。行軍録には蟻通勘吾と鈴木三樹三郎の間に名を連ねる。1867年6月10日の幕府召抱えでは、平同士として名を連ねている。翌年1月4日、鳥羽・伏見の戦いの際、伏見にて戦死。御香宮神社の名簿に名あり。 (ja)
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  • 和田重郎 (ja)
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