吉田家日次記(よしだけひなみき)は、室町時代の神祇官人・吉田神社祠官である吉田家当主の手に成る日記の総称。すなわち、吉田兼煕の『兼煕卿記(かねひろきょうき)』、の『兼敦朝臣記(かねあつあそんき)』、の『兼致朝臣記(かねむねあそんき)』、兼右の『兼右卿記(かねみぎきょうき)』の4日記を指し、狭義には、前二者のみの写本を指す場合もある。現存する吉田家当主の日記はこれらに限らないが、特に天理図書館に所蔵される室町期の日記を指して呼称する。 なお、『兼敦朝臣記』は兼敦が神祇大副に治部卿を兼ねたので治大記、『兼致朝臣記』は兼致が同じく左近衛将監を兼ねたので将大記とも称した。

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  • 吉田家日次記(よしだけひなみき)は、室町時代の神祇官人・吉田神社祠官である吉田家当主の手に成る日記の総称。すなわち、吉田兼煕の『兼煕卿記(かねひろきょうき)』、の『兼敦朝臣記(かねあつあそんき)』、の『兼致朝臣記(かねむねあそんき)』、兼右の『兼右卿記(かねみぎきょうき)』の4日記を指し、狭義には、前二者のみの写本を指す場合もある。現存する吉田家当主の日記はこれらに限らないが、特に天理図書館に所蔵される室町期の日記を指して呼称する。 なお、『兼敦朝臣記』は兼敦が神祇大副に治部卿を兼ねたので治大記、『兼致朝臣記』は兼致が同じく左近衛将監を兼ねたので将大記とも称した。 (ja)
  • 吉田家日次記(よしだけひなみき)は、室町時代の神祇官人・吉田神社祠官である吉田家当主の手に成る日記の総称。すなわち、吉田兼煕の『兼煕卿記(かねひろきょうき)』、の『兼敦朝臣記(かねあつあそんき)』、の『兼致朝臣記(かねむねあそんき)』、兼右の『兼右卿記(かねみぎきょうき)』の4日記を指し、狭義には、前二者のみの写本を指す場合もある。現存する吉田家当主の日記はこれらに限らないが、特に天理図書館に所蔵される室町期の日記を指して呼称する。 なお、『兼敦朝臣記』は兼敦が神祇大副に治部卿を兼ねたので治大記、『兼致朝臣記』は兼致が同じく左近衛将監を兼ねたので将大記とも称した。 (ja)
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  • 吉田家日次記(よしだけひなみき)は、室町時代の神祇官人・吉田神社祠官である吉田家当主の手に成る日記の総称。すなわち、吉田兼煕の『兼煕卿記(かねひろきょうき)』、の『兼敦朝臣記(かねあつあそんき)』、の『兼致朝臣記(かねむねあそんき)』、兼右の『兼右卿記(かねみぎきょうき)』の4日記を指し、狭義には、前二者のみの写本を指す場合もある。現存する吉田家当主の日記はこれらに限らないが、特に天理図書館に所蔵される室町期の日記を指して呼称する。 なお、『兼敦朝臣記』は兼敦が神祇大副に治部卿を兼ねたので治大記、『兼致朝臣記』は兼致が同じく左近衛将監を兼ねたので将大記とも称した。 (ja)
  • 吉田家日次記(よしだけひなみき)は、室町時代の神祇官人・吉田神社祠官である吉田家当主の手に成る日記の総称。すなわち、吉田兼煕の『兼煕卿記(かねひろきょうき)』、の『兼敦朝臣記(かねあつあそんき)』、の『兼致朝臣記(かねむねあそんき)』、兼右の『兼右卿記(かねみぎきょうき)』の4日記を指し、狭義には、前二者のみの写本を指す場合もある。現存する吉田家当主の日記はこれらに限らないが、特に天理図書館に所蔵される室町期の日記を指して呼称する。 なお、『兼敦朝臣記』は兼敦が神祇大副に治部卿を兼ねたので治大記、『兼致朝臣記』は兼致が同じく左近衛将監を兼ねたので将大記とも称した。 (ja)
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