台湾の日本統治時代には、台湾各地に神社が創建された。ここではそのような台湾の神社(たいわんのじんじゃ )について述べる。 台湾は1895年(明治28年)に日本の統治下に入ったが、翌1896年(明治29年)、台湾初の神社が作られた。ただしこれは、台南にある鄭成功を祀った廟(開山王廟)を神社として開山神社に改称したものであった。 その後、主要な都市には明治・大正時代に神社が創建されたが、台湾にある神社のほとんどは1930年代に創建されたものである。最終的に公式な神社は66社となり、他に非公認の神社が200社以上あったという。 北海道や他の外地の神社では開拓三神(大国魂命・大己貴命・少彦名命)や天照大神、明治天皇などを祭神としていることが多いが、台湾の神社のほとんどは、北白川宮能久親王を祀っている。能久親王は、抗日勢力の平定に向かった台湾・台南で明治28年に病死したが、これが出征先で病死したヤマトタケルになぞらえられ、台湾鎮護の神とみなされるようになった。明治34年に創建された台湾総鎮守の台湾神社(後の台湾神宮)が開拓三神とともに能久親王を祀ったのを始め(後に天照大神を増祀)、台湾に創建された多くの神社が能久親王を祭神とすることになった。なお、能久親王の終焉の地には台南神社が創建された。 日本の敗戦後、かつての神社のほとんどは破壊または改築され、多くは中華民国の戦死者を祀る忠烈祠とされた。