古河 太四郎(ふるかわ たしろう、弘化2年2月20日(1845年3月27日) - 明治40年(1907年)12月26日)は、日本の教育者。姓は古川とも書く。 京都盲唖院(後の京都府立盲学校・京都府立聾学校)を創設し、近代日本での視覚障害教育・聴覚障害教育の黎明期をリードした。また、鷹峯・紅葉谷庭園の前身である灌漑池をつくった。 彼の没後30年に当たる1937年にはヘレン・ケラーが、彼の創設した聾唖学校を訪問している。