南海1900号電車(なんかい1900ごうでんしゃ)は、現・南海電気鉄道の前身である南海鉄道が、1938年(昭和13年)に導入した電車(制御車)である。 1900号は、同社高野線の観光優等列車運行計画に関連し、優等列車用車両の先行試作車として、汽車製造東京支店にて1938年(昭和13年)7月に落成した。同時代の鉄道車両設計における流行を取り入れた流線形の前面形状と、大きな窓による開放感のある居住性を特徴とし、また車内の前半部をソファ・テーブルなどを備える展望室構造とした豪華な接客設備を有する。しかし、落成時期が日中戦争の本格化による戦時体制への移行期と重なったことから導入は1900号1両のみに留まり、また観光列車運行計画も中止された。 導入後から戦中にかけては貴賓車として運用されたのち、終戦後の1952年(昭和27年)より高野線特急「こうや号」の座席指定車両として運用を開始した。その後、「こうや号」用の新型車両20001系「デラックスズームカー」の導入に伴って1963年(昭和38年)に一般車へ格下げされた。一般車転用に際しては車体の大改造が施工されてモハ1201形類似の外観となり、改造以前の原形は完全に失われた。 一般車格下げ後はモハ1201形・クハ1901形と共通運用され、後年は運転機器を撤去して中間付随車となり、1972年(昭和47年)まで運用された。

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  • 南海1900号電車(なんかい1900ごうでんしゃ)は、現・南海電気鉄道の前身である南海鉄道が、1938年(昭和13年)に導入した電車(制御車)である。 1900号は、同社高野線の観光優等列車運行計画に関連し、優等列車用車両の先行試作車として、汽車製造東京支店にて1938年(昭和13年)7月に落成した。同時代の鉄道車両設計における流行を取り入れた流線形の前面形状と、大きな窓による開放感のある居住性を特徴とし、また車内の前半部をソファ・テーブルなどを備える展望室構造とした豪華な接客設備を有する。しかし、落成時期が日中戦争の本格化による戦時体制への移行期と重なったことから導入は1900号1両のみに留まり、また観光列車運行計画も中止された。 導入後から戦中にかけては貴賓車として運用されたのち、終戦後の1952年(昭和27年)より高野線特急「こうや号」の座席指定車両として運用を開始した。その後、「こうや号」用の新型車両20001系「デラックスズームカー」の導入に伴って1963年(昭和38年)に一般車へ格下げされた。一般車転用に際しては車体の大改造が施工されてモハ1201形類似の外観となり、改造以前の原形は完全に失われた。 一般車格下げ後はモハ1201形・クハ1901形と共通運用され、後年は運転機器を撤去して中間付随車となり、1972年(昭和47年)まで運用された。 (ja)
  • 南海1900号電車(なんかい1900ごうでんしゃ)は、現・南海電気鉄道の前身である南海鉄道が、1938年(昭和13年)に導入した電車(制御車)である。 1900号は、同社高野線の観光優等列車運行計画に関連し、優等列車用車両の先行試作車として、汽車製造東京支店にて1938年(昭和13年)7月に落成した。同時代の鉄道車両設計における流行を取り入れた流線形の前面形状と、大きな窓による開放感のある居住性を特徴とし、また車内の前半部をソファ・テーブルなどを備える展望室構造とした豪華な接客設備を有する。しかし、落成時期が日中戦争の本格化による戦時体制への移行期と重なったことから導入は1900号1両のみに留まり、また観光列車運行計画も中止された。 導入後から戦中にかけては貴賓車として運用されたのち、終戦後の1952年(昭和27年)より高野線特急「こうや号」の座席指定車両として運用を開始した。その後、「こうや号」用の新型車両20001系「デラックスズームカー」の導入に伴って1963年(昭和38年)に一般車へ格下げされた。一般車転用に際しては車体の大改造が施工されてモハ1201形類似の外観となり、改造以前の原形は完全に失われた。 一般車格下げ後はモハ1201形・クハ1901形と共通運用され、後年は運転機器を撤去して中間付随車となり、1972年(昭和47年)まで運用された。 (ja)
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  • 基本情報の運用開始・終了年月は「こうや号」としてのものを示す。 (ja)
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  • (参考)モハ1201形1241。一般車格下げ改造施工後のクハ1900は、画像のモハ1201形に近似した外観に変化した。 (ja)
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  • 南海クハ1900形電車(一般車格下げ後) (ja)
  • 南海1900号電車初代「こうや号」 (ja)
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  • 半鋼製 (ja)
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  • 南海鉄道→近畿日本鉄道→南海電気鉄道 (ja)
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  • 直流600 V(架空電車線方式) (ja)
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  • 南海1900号電車(なんかい1900ごうでんしゃ)は、現・南海電気鉄道の前身である南海鉄道が、1938年(昭和13年)に導入した電車(制御車)である。 1900号は、同社高野線の観光優等列車運行計画に関連し、優等列車用車両の先行試作車として、汽車製造東京支店にて1938年(昭和13年)7月に落成した。同時代の鉄道車両設計における流行を取り入れた流線形の前面形状と、大きな窓による開放感のある居住性を特徴とし、また車内の前半部をソファ・テーブルなどを備える展望室構造とした豪華な接客設備を有する。しかし、落成時期が日中戦争の本格化による戦時体制への移行期と重なったことから導入は1900号1両のみに留まり、また観光列車運行計画も中止された。 導入後から戦中にかけては貴賓車として運用されたのち、終戦後の1952年(昭和27年)より高野線特急「こうや号」の座席指定車両として運用を開始した。その後、「こうや号」用の新型車両20001系「デラックスズームカー」の導入に伴って1963年(昭和38年)に一般車へ格下げされた。一般車転用に際しては車体の大改造が施工されてモハ1201形類似の外観となり、改造以前の原形は完全に失われた。 一般車格下げ後はモハ1201形・クハ1901形と共通運用され、後年は運転機器を撤去して中間付随車となり、1972年(昭和47年)まで運用された。 (ja)
  • 南海1900号電車(なんかい1900ごうでんしゃ)は、現・南海電気鉄道の前身である南海鉄道が、1938年(昭和13年)に導入した電車(制御車)である。 1900号は、同社高野線の観光優等列車運行計画に関連し、優等列車用車両の先行試作車として、汽車製造東京支店にて1938年(昭和13年)7月に落成した。同時代の鉄道車両設計における流行を取り入れた流線形の前面形状と、大きな窓による開放感のある居住性を特徴とし、また車内の前半部をソファ・テーブルなどを備える展望室構造とした豪華な接客設備を有する。しかし、落成時期が日中戦争の本格化による戦時体制への移行期と重なったことから導入は1900号1両のみに留まり、また観光列車運行計画も中止された。 導入後から戦中にかけては貴賓車として運用されたのち、終戦後の1952年(昭和27年)より高野線特急「こうや号」の座席指定車両として運用を開始した。その後、「こうや号」用の新型車両20001系「デラックスズームカー」の導入に伴って1963年(昭和38年)に一般車へ格下げされた。一般車転用に際しては車体の大改造が施工されてモハ1201形類似の外観となり、改造以前の原形は完全に失われた。 一般車格下げ後はモハ1201形・クハ1901形と共通運用され、後年は運転機器を撤去して中間付随車となり、1972年(昭和47年)まで運用された。 (ja)
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  • 南海1900号電車 (ja)
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  • 南海クハ1900形電車(一般車格下げ後) (ja)
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