劉 知幾(りゅう ちき、661年(龍朔元年) - 721年(開元9年))は、中国唐代の歴史家。字は子玄、名の「知幾」と玄宗の諱である「隆基」との音が近く通ずるので避け、字の劉子玄のほうが著聞している。 本貫は彭城郡彭城県叢亭里。後漢の劉愷(前漢の宣帝の子の楚孝王劉囂の玄孫)の末裔にあたる。父は侍御史であった劉蔵器であり、伯父は国史の編纂に関与した。そのような家庭環境に育ったため、劉知幾も古典・史書の研究に励んだ。子に劉貺(りゅう きょう)・・劉匯・・劉迅・ら。