Property |
Value |
dbo:abstract
|
- 凡夫(ぼんぷ、ぼんぶ、梵: pṛthagjana、蔵: so sor skye bo)とは「凡庸なる士夫」の意味で、十分に四諦の道理を知らない人をいう。未だ悟りを得ていない者、すなわち部派仏教においては初果としての預流果を得ていない者、大乗仏教においては初地である歓喜地に至っていない者のこと。音写は必栗託仡那であり、異生とも訳される。 「凡夫は〔有〕身見をもって性となす」(『』)といわれて、我見にとらわれている人をいう。 凡夫を内凡(ないぼん)・外凡(げぼん)・底下(ていげ)の凡夫などと区別する。内凡とは見道に直前するの位にある人、外凡とはその前の三賢の位にある人、底下の凡夫とは外凡以前の人々をいうのである。六道に輪廻するものを声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖に対して六凡という。 『玄応音義』には「凡夫というは義訳なり」といって、婆羅必栗託仡那(bāla-pṛthag-jana)と解釈している。 菩提流支(ぼだいるし)訳の『金剛般若経』には「毛道凡夫」という表現があらわれるが、これは(原典となる写本で)bāla-pṛthag-jana(嬰愚凡夫)の前半が誤ってvāla-pathaとなったものが「毛道」と訳されたものである。 (ja)
- 凡夫(ぼんぷ、ぼんぶ、梵: pṛthagjana、蔵: so sor skye bo)とは「凡庸なる士夫」の意味で、十分に四諦の道理を知らない人をいう。未だ悟りを得ていない者、すなわち部派仏教においては初果としての預流果を得ていない者、大乗仏教においては初地である歓喜地に至っていない者のこと。音写は必栗託仡那であり、異生とも訳される。 「凡夫は〔有〕身見をもって性となす」(『』)といわれて、我見にとらわれている人をいう。 凡夫を内凡(ないぼん)・外凡(げぼん)・底下(ていげ)の凡夫などと区別する。内凡とは見道に直前するの位にある人、外凡とはその前の三賢の位にある人、底下の凡夫とは外凡以前の人々をいうのである。六道に輪廻するものを声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖に対して六凡という。 『玄応音義』には「凡夫というは義訳なり」といって、婆羅必栗託仡那(bāla-pṛthag-jana)と解釈している。 菩提流支(ぼだいるし)訳の『金剛般若経』には「毛道凡夫」という表現があらわれるが、これは(原典となる写本で)bāla-pṛthag-jana(嬰愚凡夫)の前半が誤ってvāla-pathaとなったものが「毛道」と訳されたものである。 (ja)
|
dbo:wikiPageExternalLink
| |
dbo:wikiPageID
| |
dbo:wikiPageLength
|
- 1855 (xsd:nonNegativeInteger)
|
dbo:wikiPageRevisionID
| |
dbo:wikiPageWikiLink
| |
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
| |
dct:subject
| |
rdfs:comment
|
- 凡夫(ぼんぷ、ぼんぶ、梵: pṛthagjana、蔵: so sor skye bo)とは「凡庸なる士夫」の意味で、十分に四諦の道理を知らない人をいう。未だ悟りを得ていない者、すなわち部派仏教においては初果としての預流果を得ていない者、大乗仏教においては初地である歓喜地に至っていない者のこと。音写は必栗託仡那であり、異生とも訳される。 「凡夫は〔有〕身見をもって性となす」(『』)といわれて、我見にとらわれている人をいう。 凡夫を内凡(ないぼん)・外凡(げぼん)・底下(ていげ)の凡夫などと区別する。内凡とは見道に直前するの位にある人、外凡とはその前の三賢の位にある人、底下の凡夫とは外凡以前の人々をいうのである。六道に輪廻するものを声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖に対して六凡という。 『玄応音義』には「凡夫というは義訳なり」といって、婆羅必栗託仡那(bāla-pṛthag-jana)と解釈している。 菩提流支(ぼだいるし)訳の『金剛般若経』には「毛道凡夫」という表現があらわれるが、これは(原典となる写本で)bāla-pṛthag-jana(嬰愚凡夫)の前半が誤ってvāla-pathaとなったものが「毛道」と訳されたものである。 (ja)
- 凡夫(ぼんぷ、ぼんぶ、梵: pṛthagjana、蔵: so sor skye bo)とは「凡庸なる士夫」の意味で、十分に四諦の道理を知らない人をいう。未だ悟りを得ていない者、すなわち部派仏教においては初果としての預流果を得ていない者、大乗仏教においては初地である歓喜地に至っていない者のこと。音写は必栗託仡那であり、異生とも訳される。 「凡夫は〔有〕身見をもって性となす」(『』)といわれて、我見にとらわれている人をいう。 凡夫を内凡(ないぼん)・外凡(げぼん)・底下(ていげ)の凡夫などと区別する。内凡とは見道に直前するの位にある人、外凡とはその前の三賢の位にある人、底下の凡夫とは外凡以前の人々をいうのである。六道に輪廻するものを声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖に対して六凡という。 『玄応音義』には「凡夫というは義訳なり」といって、婆羅必栗託仡那(bāla-pṛthag-jana)と解釈している。 菩提流支(ぼだいるし)訳の『金剛般若経』には「毛道凡夫」という表現があらわれるが、これは(原典となる写本で)bāla-pṛthag-jana(嬰愚凡夫)の前半が誤ってvāla-pathaとなったものが「毛道」と訳されたものである。 (ja)
|
rdfs:label
| |
prov:wasDerivedFrom
| |
foaf:isPrimaryTopicOf
| |
is dbo:wikiPageRedirects
of | |
is dbo:wikiPageWikiLink
of | |
is owl:sameAs
of | |
is foaf:primaryTopic
of | |