准大臣(じゅんだいじん)とは、日本の朝廷において大臣に准ずる待遇のこと。またその待遇を得た者(その称号)。唐名は儀同三司(ぎどうさんし)。三位以上の公卿に大臣の下・大納言の上の席次を与えて遇することを意味し、本来は文として「大臣に准ず」と読むのが正しかった。 平安時代中期の藤原伊周が「大臣の下、大納言の上」の席次を得て自ら「儀同三司」と称したのが初例である。これはあくまで待遇の付与であり、職務・権限を有する官職に任ぜられたのではなかった。これが復活した鎌倉期には大臣に昇進できるのは原則として摂家・清華家の嫡子・嫡流に限定されるようになっており、大納言に達した庶子や庶流で一定の能力・経歴を有する者でも内大臣以上には直に昇進できなかったことから、准大臣宣下が昇進過程に加えられた。南北朝期には律令官職も実質を失ってもっぱら名誉化していたことから、准大臣も官職同然に認識されるようになった。そして、以降は主として大臣に昇進できない家格である名家・羽林家のうち一部の家の極官として固定化されていった。